全世界株VTを放置してセミリタイアするブログ?

投資のことなんてわかりやせん

オートミールに耐え切れず白米を食べ歓喜する。幸せの閾値を下げるのは時として大事

結構な間、主食をオートミールにして粗食してきていたが、私の作るオートミール飯はカスなため(→白米はうまい~私の作るオートミール飯は豚の餌)、欲望を抑えきるのは不可能だった。

 

久しぶりに洗う米を買い、炊いた。あれ、こんな旨かったっけ洗う米。

豚の餌に慣れた、いや慣れてはいないが耐え忍んだ私にとって、久しぶりに食べる人間のご飯はとてつもなく美味かった。

 

飽食の現代社会では幸せのハードルがどんどん高くなる。美味しいご飯や、おもろい娯楽にもいずれ飽き、さらなるものを目指してしまう。

要求がエスカレートし常に満足できない人となっていく。

 

満足した豚よりも不満足な人間のほうがいいというスタンスもあるが、私は満足した豚でいい。なので、時たま自らを豚にする。

 

クソみたいな飯、過酷な環境、アイゴの毒針、痛い目にあってこそ普段の日常に喜びを見出せるようになるのだ。

 

一か月前くらいはアジばっか釣って食べていたため、もうアジは飽きたなど舐めたことを思っていた。

 

そこで意図せず微妙過ぎるオキザヨリを食べ(→何とも言えない微妙なオキザヨリの刺身と美味しいスズメダイの素揚げ)、私は豚にまた戻った。

 

その後またアジを美味しくいただけるようになった。幸せの閾値が下がったのだ。

 

そしてまた現在、アジを食べ、白米を食べ、私は不満足な人間になりつつある。

 また凹ませる必要がある。

 

イスズミだな、次は。天気と引越までの日程次第だが、また一度、調子に乗った私の舌を叩きのめす必要がある。